JOICO顕微鏡:世界の深層を
のぞくための挑戦

No.3|1925|「見えない世界」をみる

ニコンの顕微鏡事業のスタート地点となったJOICO顕微鏡。その生まれた背景を踏まえながら、
現在のバイオサイエンス製品につながる「科学的思考」を支えるニコンの技術の系譜を探ります。

コンテンツ監修:『WIRED』日本版 (文: 水谷 秀人 / 写真: 加藤 純平 / 編集:矢代 真也)

ニコンが1925年に発表した「JOICO顕微鏡」。同社初の本格的な顕微鏡がもたらしたのは、当時としては革新的な「精度」だった。顕微鏡は望遠鏡などの他の光学機器と比べて、より小さなスペースに必要なレンズを配置する必要がある。しかも、それらよりも高い光学性能が求められる。この限られた条件のなかで、各種収差を抑える設計に腐心したという。

実機を前にすると、やはり製造の苦労が小さくなかったことが伺える。接眼レンズと長さ数cmしかない対物レンズを組み合わせることで、最大765倍まで拡大可能な性能をもつ。対物レンズの先端にあるレンズは極小で指先より遥かに小さい。レンズはその小ささゆえに、機械ではなく熟練した技術者の手作業による加工が不可欠だった。

発売された1920年代当時のカタログでも「本社製“JOICO”顕微鏡ハ制作準備ニ多年ノ歳月ヲ費シ…」と述べられている。このJOICOを端緒として、ニコンは顕微鏡開発の道を切り開いていく。

「JOICO」の誕生

ニコンの創業当初の定款には「当会社ハ左ノ業務ヲ営ムヲ以テ目的トス〈〜中略〜〉顕微鏡、望遠鏡、反射鏡〈〜後略〜〉」とある。当時から顕微鏡が主要な生産品目のひとつとされてきた。創業期、その顕微鏡の発展に力を注いだのは、ドイツから招へいされた技術者達だった。

その一人であるハインリッヒ・アハトはレンズ設計技術に豊富な経験をもち、ドイツ流の新方式を採用しつつ、レンズの精度向上に努めた。その成果が結実し、ニコンは輸出用の製品として「JOICO顕微鏡」の発売に至ったのだ。

1928年までアハトはニコンに留まり、カメラ用レンズや顕微鏡対物レンズの設計に貢献した。さらに社内の光学技術者に向けて光学設計の講義を行ない、そのエッセンスを伝えたという。これらの講義は、顕微鏡をはじめとするニコンのレンズ部門の発展に大きく貢献し、残されたドイツ式設計手法はレンズ設計の礎となった。

「みる」だけに留まらない

1925年のJOICO顕微鏡の発売以降、ニコンの顕微鏡は医学、生物学、工業など幅広い分野で活躍してきた。その理由は、ドイツ式の設計手法を出発点に、ニコンが顕微鏡技術を連綿と磨き上げてきたことにある。なかでも、50年近いときを経て1974年に発表されたCF(クロマティックアバレーション・フリー)システムは、業界内でも「100年ぶりの技術革新」として話題を呼んだ。

かつて顕微鏡の設計は、19世紀末に確立された「コンペンセーション方式」が常識とされていた。これは、顕微鏡の対物レンズと接眼レンズを組み合わせて、収差を補正する方法である。ニコンが開発したCFシステムはその常識を覆す、対物レンズと接眼レンズの収差を個別に補正するものだ。

従来のコンペンセーション方式に代わってCFシステムは、精度だけでなく顕微鏡の拡張性も飛躍的に引き上げた。収差を補正する接眼レンズの使用が必須ではなくなるため、対物レンズを使用した対象物の撮影や後年のレーザー照射といった応用が可能になった。この革新が生物の細胞やナノ材料といった、肉眼では見えない世界の詳細な観察、記録、分析を実現し、科学研究や医療、教育など幅広い分野の進歩へとつながる。

CFシステムの登場は、JOICO顕微鏡から築かれてきた「見えない世界をみる」ニコンの顕微鏡にとって、大きな節目となったのだ。

科学の未来をリードする存在

さらに、1980年代後半以降のデジタル時代到来に伴い、ニコンの顕微鏡も自動化や電動化 の変革を遂げる。記録媒体の変化によりコンピュータとのデータ連携が実現し、画像処理技術の進歩によって、より精密な観察、解析が可能となったのだ。

長年顕微鏡開発に携わった技術者は、1970年代にCFシステムの開発に取り組んだからこそ、後年、顕微鏡のデジタル化を素早く進めることができたと振り返る。最近ではデジタル化がさらに進み、モニターの画素数が上がったことで、顕微鏡の接眼レンズを覗いたことがないという研究者もいるという。

いまや顕微鏡はその技術発展とともに、その「顕微鏡」という言葉から想像できる領域を越えつつある。たとえば細胞を培養する最新設備には細胞の状態を自動的に観察し、判定を行うニコンの顕微鏡が組み込まれているという。もしJOICOの開発者が、この「顕微鏡」をみたとしたら、その驚きは計り知れないものだろう。

ニコンの技術革新は、単に見えない世界を可視化するという役割を超え、「見えない」世界の深層に我々を導いてきた。JOICOから始まったニコンの顕微鏡技術の進化はこれからも続いていく。

コンテンツ監修:『WIRED』日本版 (文: 水谷 秀人 / 写真: 加藤 純平 / 編集:矢代 真也)

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